私は学習塾の英語教員をしていました。
ただ、、英語教師でありながら重度の英語コンプレックスに陥っていました。
なぜかというと、海外語学留学の経験がないからです。
今の世の中、英語教育はリーディングからスピーキング、リスニング重視になりつつあります。
授業も英語で行わなければいけません。
そうでなくても、外国人講師と一緒に授業をしなければいけないことが多かった私は、子供たちにはそれらしく見せていましたが、常にボロが出ないかドキドキしながら授業をしていました。
一度だけ働きながらの短期留学を検討したこともあります。
ネットでアメリカ留学の費用を節約するプログラムを検索して、アメリカの4年制大学での奨学金のもらい方や、費用が安くなる方法を知りましたが、学生時代にそれを知っていたなら迷わず渡米していたと思います。
ただ、仕事もありますのでその時の私は短期の語学留学が精いっぱい。
夏休みなど、長期にわたり子供たちが学校に来ない時期を狙って留学できないかと、留学先を斡旋してくれる旅行代理店を訪れました。
そこでは私のような多くの社会人の留学をサポートしてくれていました。適した国を選んで見積もりをいくつか出してもらったりもしたのですが、まだ講師だったこともあり、留学よりもまずは教員採用試験を優先させなければならないだろうと、結局その留学は断念しました。
今になって思うのは、結局あの時無理やりにでも短期留学していたとしても、英語コンプレックスは治っていなかったんじゃないだろうかということです。
使ってなんぼの英語です。たとえ留学せず日本にいても、英語の力を伸ばすことはできると今では思います。
英語学習では英語を「話す」こと自体にばかり重点を置きがちですが、英語で「何を話すか」に重点を置くことが大事であると、今となっては思います。
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私は以前、仕事中に突然奥歯が痛くなり、かなりの激痛で何もできないような状態になりました。
予約の電話もしないで、携帯で越谷の歯科医院を探してそこに飛び込みました。
急患です。
見てもらったところ、以前違う歯科医院で治療していた奥から2番目の右下の歯が虫歯になっていました。
見た目にはまったく何もなっていないのですがかなり進行していました。
それもそもはず、銀歯でかぶせて治療してあり外からは全然わからないのです。が、銀歯の中はかなりひどい状態でした。
歯医者さんに色々説明を受け、なぜ虫歯になるのか小学生にでも言い聞かせるように歯医者さんは私に言い聞かせ私は納得し、再治療をし、その他小さな虫歯等も全て治療しました。
全ての虫歯を直すのに約半年ほどかかりました。
突然伺ったその歯医者さんは幸いいい歯医者さんでしたので、今は虫歯は一本もありません。
というのも、毎月一度定期健診にいって見てもらっているからです。
そして、いくたびに歯の磨き方がわるいと怒られて磨き方を教えてもらっています。
最近では毎月行くのが億劫になってきていますが、ここでいくのをやめるとまた虫歯になるまでいかなくなるので、やはり行こうと思います。
私の友人(大分年上ですが)は、20代で1度目の結婚をし、30代前半で離婚しました。
子供はおらず、まだ若いからと遊び、30代後半で焦りだしたそうです。
私達の仲間内での話になりますが、女性は友達が結婚しだす24~25歳くらいで1度 早く結婚しないと!と焦ります。
でも、それを乗り越えると遊びたくなり、また35歳くらいで焦りだすと言う結果になりました。(本当に仲間内での話です)
それで、最初に書いた友人も、35歳を過ぎた頃から焦りだし、婚活パーティーに出席したそうです。
地元の役所等が主催の婚活パーティーで、地元の男性と知り合えるという会が、一泊二日で行われたそうです。
会費は男性が数千円、女性は無料だそうです。
一緒にバーベキューをしたり、お餅つきをしたり、もちろん順番にお話をしたりするそうです。
その友人は、2度目の結婚が目的だったので、まず年収を重視したそうです。
そこで、地元の大きな建設会社の社長と知り合い、連絡先を交換し付き合い始めたそうです。
地元は、自衛隊基地もあるので、自衛隊の方や、消防、警察、学校の先生など、本当に色んな方が参加していたそうです。
その友人は、二年後に結婚し、まだ子供はいませんが新築で豪邸を建て、新しい旦那さんと幸せに暮らしています。
私は、24歳で、普通に結婚し、子供が二人いる主婦です。
この友人の話を聞くまでは、どんな人と知り合うか分からない婚活パーティー等は怖くて、不安が大きいので参加したいとは思ったこともなかったのですが、この友人の話を聞き、婚活パーティーも悪くないなと思いました。
私の妹もまだ独身なので、近場であれば、是非オススメしようと思っています。
京都の実家近くに大きな物流倉庫が出来ると聞いて、大学時代に倉庫でピッキングのアルバイトをしていたことを思い出しました。
春と夏の長期休みになるとしていたのでかなりの期間していたことになります。
倉庫は駅から10分ほどのところにあり、かなり広いエリアで、私は学校の教材を配送する部門で働きました。
3段くらいの棚に副教材が格納された段ボールが種類ごとに山詰みされていました。
学年別と教科別に分かれていて、大手の会社が良い場所と広いスペースを占めてしたので、ピッキングするときにその会社を支持した伝票にあたると歩行する距離が短くなるのでラッキーでした。
集めた副教材は買い物かごみたいなもので運びますが、量が多いと手押し運搬台車を使います。送付する段ボールに収集した副教材を詰め込み出荷しますが、パレットに積むのは倉庫で働く正社員の人がフォークを使用します。
倉庫の出入り口のシャッターはいつも解放されているので夏は蒸し暑く、冬は凍えるほど寒くなります。扇風機や石油ストーブはありますが役にたりません。倉庫の配列はほとんど変更することはないので、一度場所を覚えてしまえば最短距離で集めることができます。
働いている人はほとんどアルバイトで、近所の主婦がいましたが学生も多かったです。副教材は大きなドリルもあり紙ですが重たいので力仕事といえます。高い棚には脚立を使いますが、ほとんど男性が作業をしていました。
夢のマイホーム。理想とは違う形で手に入れたものの、毎月の支払いはやって来る。
一人暮らしの私がマイホームを購入したとなると、もちろん一人で支払うわけで、何が何でも払い続けなければなりません。
無理な返済は禁物とボーナス払いをしないように契約をしました。住宅ローン契約には生命保険に入る事も条件になっていたので、私に何か起こっても安心だと思っていました。
それが突然わが身に降りかかってくるとは思っていませんでした。突然の病気、ガンではありません。
頭の病気でしたが大事にはいたりませんでした。しかし、世間はそうもいきません。
仕事はパートにされてしまうし、勤務時間は減らされる。
そうなると、現実問題として収入が減る。
支払いが出来ないとなります。
どんなに体は大丈夫だと訴えても働かせてもらえず、時期をみて正職に戻すという口約束を鵜呑みに2年、貯金を切り崩すのも限界に達してしまいました。
それでも返済は待ってはくれない、状況は悪くなるばかりです。
ネットで同じような状況の人を調べましたが、任意売却を行い、サービサーへの債権譲渡の対策など、家を手放した体験談が余計に心臓に悪く...
ローンが払えなくなったら、という現実が頭をよぎります。
今を打破するためには職場を変えるしかないと思うのは私だけでしょうか?そこで、思いつめた私がとった行動は退職です。
転職をしてフルタイムで働ければ支払いは大丈夫になるはず。
たまたまスキルは身についている、仕事さえ決まればやっていけるはず。退職届を出したとき、経営者には退職を引き留められないのは、再発を恐れているからなのだろうと思いました。
同僚には以前からフルで働かせてもらえるように頼んでるのにと労わりの言葉を貰いました。とにかく現実的に収入を増やさないと迷走中です。